〜揺られ揺られる、日々の思いを、君へ、あなたへ〜

-芸術と光- 

2013, 06. 02 (Sun) 23:30

あれは二年くらい前かしら、三年前かしら、

あたしはもう芸術家にはなりませんよ。みたいなことを言っていた気がするのですが、


ちょうど一年前ですかね。


ビエンナーレうしくの公募に出品するにあたり、

そのときの絵画を描きながら、本当に自分はこのままでいいのかな、って何度も何度も考えて、


普通に将来、結婚して幸せに暮らすっていう未来よりも、

芸術家として、自分の命を削り賭けて生きる未来を選びたい。そう思いました。


そして、現実には離れていく人があり、それはそれは離れていく人がおりまして、

同時に近づいてゆける人たちがいて、


そしてまた、今もまた同じように、

自分の言動ひとつ、そのひとつで離れていく人がいることは、

もちろん、そんな鈍感じゃありませんから、肌身に感じながら、


それでも我が身を省みて将来を模索し選んで生きる人生に、

ときに誰かが離れてしまったとしても、それが例えば大切な人であったとしても、


行く雲は流れていくものとして、


人間に生まれながらにして、例えばなにがしかの星に生まれて来た人間がいるとするならば、


それが例えば自分のあたしの人生において、

目先の幸せや、暮らしの安定や、幸せな家庭よりも、


小さな音を浮かべて、色彩を並べて、言葉を紡ぐことに、

あたしの命の役割があるのではあるまいか、そういうことも考えるわけなのであります。


将来の未来に大きな花を咲かせることが、それでも出来なかったとしても、

それでも、自分の作る音楽が、他の誰かでも作れる音楽だとは思っていないですし、


今の自分の絵画技法を代わりに描ける人はいないと思い、

そして、今、書いている小説も、自分が書かなければ一生、書かれることのない物語だと思っていますから、


そういう意味において、


あらゆる人間に、その果たすべき役割というものがあるとするならば、

その役割をしっかり果たすことを、自分の人生に、生きることと仮定していたいと思うのです。


いろんな批判や反対意見があることは存じておりますが、

あたしの人生はあたしが三十年間連れ添った人生でありますから、


そうして感じたひとつひとつの悪意や憎悪、嫉妬やひがみ、妬みや性愛、グロテスクな欲望と言葉、


そんなそのひとつひとつがそれでも光に変わるもの。


それを、あたしは芸術だと思って居ります。
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